悲しみの果てに

ケニアに住んでいると、まわりで悲しい出来事が日本にいるときより多く発生しているような気がしてくる。

ケニア人の知人や、従業員の親戚が亡くなるのはしょっちゅうである。それもそのはずで、年々上がってきているにしろ、2020 年時点で日本に比べたら平均寿命は 22 歳ほど低い。

ケニアのスラムなどに観光で来た人が、「お金が無くても幸せそうだった」というコメントをするたびにアフリカ界隈の一定数の人から反感が上がるんだけど、僕も彼等が笑顔で迎えてくれたとしても、最低限の生活が保護されている日本の人がいう「幸せ」とはまったく別物だと思う。

きっとそれは悲しみの果てにある、「これ以上は悪くなることはない」という微かな希望なんじゃないだろうか。

どうでも良いけど、ケニアのバイクタクシーのドライバーたちは自分たちの仲間のドライバーが死ぬと、大きい道路を 10 人くらいで暴走して弔う文化がある。

まともな葬儀をするお金もない彼等が行き場のない感情を発散させるためにはきっと必要なんだろうと思うし、警察もそれを止めないのはきっと警察の人もその感情がわからないでもないということなんじゃないだろうか。

警察に関してはただ仕事していないだけの可能性も高いんだけど。